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赤星十三郎と鎌倉・平塚の地

コラム

白浪五人男 研究紀行

赤星十三郎と鎌倉・平塚の地

赤星十三郎の名乗り台詞に登場する鎌倉・平塚の地名を訪ねる研究紀行

河竹黙阿弥の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』に登場する盗賊、白浪五人男。そのうちのひとり、赤星十三郎。

彼の名乗りには「腰越」「砥上ヶ原」「花水橋」「月影ヶ谷」「神輿ヶ嶽」「星月夜」といった、鎌倉から平塚にかけての地名がずらりと登場します。

一見無造作に並んでいるように見えますが、和歌に詠まれた歌枕や、鎌倉の谷戸に息づく信仰地名が巧みに織り込まれ、赤星十三郎の人物像に重層的な陰影を与えています。

実際にその地を歩いてみると、黙阿弥の台詞に込められた景色と物語が、夜の月や星とともに鮮やかに浮かび上がってきました。

腰越(こしごえ) ― 「鈍き刃の腰越や」

江ノ電腰越駅
江ノ電腰越駅

*江ノ電腰越駅*

江の島の対岸が腰越。

源義経が兄頼朝に鎌倉入りを許されず、無念を「腰越状」に託した場所です。なお、義経が逗留したとされる満福寺の目の前を江ノ電が通っています。義経、弁慶ゆかりの史跡が残っています。

腰越駅付近の路面を走る江ノ電
腰越駅付近の路面を走る江ノ電

*腰越駅付近の路面を走る江ノ電*

赤星は「鈍き刃の腰越や」と語ります。

切れ味の鈍い刀=無力、敗北の象徴として腰越を引き合いに出し、漂泊する無宿者の身の上を暗示しているのです。

海岸線に出ると車窓から江ノ島が見える
海岸線に出ると車窓から江ノ島が見える

*海岸線に出ると車窓から江ノ島が見える*

砥上ヶ原(とがみがはら) ― 「砥上ヶ原に身の錆を」

藤沢市にあったとされ、和歌でも詠まれた「砥上ヶ原」。

色々と調べてみたのですが、ピンポイントで場所を特定することが難しかった。どうやら江ノ島電鉄の鵠沼駅、石上駅あたりの地を指すようです。今回の旅ではスルーしてしまいました。

どうも実際に砥石産地だったわけではなさそうで、ここでは刀を砥ぐ/錆びるという語感が重ねられています。

「砥上ヶ原に身の錆を」とは、まさに「身から出た錆」。

赤星の悪事の報いを、刀と砥石の縁語によって自嘲的に表現しています。

花水橋(はなみずばし) ― 「花水橋の切取りから 今牛若と名も高く」

奥に見えるのが花水橋
奥に見えるのが花水橋

*奥に見えるのが花水橋*

平塚市を流れる花水川に架かる橋。古来「花水川」として『万葉集』にも詠まれた歌枕で、東海道を往来する旅人によく知られていました。

現在は大きな橋が掛けられており、あたりも建物が立ち並んでいて風情が感じられるような史跡は見当たりませんでしたが、交通の要所だったことはうかがえます。

赤星は「花水橋にて今牛若と名も高く」と名乗ります。

「今牛若」とは源義経の幼名「牛若丸」のこと。五条大橋で武勇を示した牛若丸の俊敏さを、赤星は自分に重ねています。

ここには、名乗りの冒頭で登場する「腰越」との呼応があります。

腰越=義経の無念、花水橋=義経の若き勇姿。

光と影、栄光と悲劇を二重写しにして、赤星自身の人物像を浮かび上がらせているのです。

月影ヶ谷(つきかげがやつ)

鎌倉・極楽寺付近の「月影ヶ谷」。

地名としての実在とともに、「月影」という雅語の美が重ねられています。

月の光に照らされれば、盗賊は隠れても暴かれてしまう。

『十六夜日記』を記した阿仏尼がこの地に暮らし、その子・冷泉為相が「砥上ヶ原」を詠んだことを思えば、母子ゆかりのモチーフがこの名乗りに揃っているとも読めます。

あずまにてすむ所は、月かげのやつ(谷)とぞいふなる。浦近き山もとにて、風いとあらし。山寺のかたはらなれば、のどかにすごく浪の音松のかぜたえず。

江ノ島電鉄の踏切横に阿仏尼邸跡の石碑があります。

阿仏尼邸跡石碑
阿仏尼邸跡石碑

*阿仏尼邸跡石碑*

阿佛ハ藤原定家ノ子為家ノ室ニシテ

和歌ノ師範家冷泉家ノ祖為相ノ母ナリ

為相ノ異母兄為氏為相ニ属スベキ和歌所ノ所領

播磨細川ノ庄ヲ横領セ出ヲ以テ之ヲ執権時宗ニ訴ヘ

其ノ裁決ヲ乞ハントシ

建治三年京ヲ出デテ東ニ下リ居ヲ月景ガ谷ニトス

即チ此ノ地ナリ

其ノ折ノ日記ヲ十六夜日記ト伝ヒテ世ニ知ラル

係争久シキニ彌リテ決セズ

弘安四年遂ニ此ニ没ス

阿仏尼は冷泉為相の母であり、息子の裁判のため東国に来て、この地・月影ヶ谷に住んだと書かれています。

神輿ヶ嶽(みこしがたけ)

鎌倉・甘縄神明神社の裏山は「神輿ヶ嶽」と呼ばれ、古くから霊山として崇められてきました。

今回は時間の関係で行くことはできませんでしたが、高台寺(大仏)、長谷寺の近くにあります。

あまり上演されませんが、『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』の序幕の舞台は長谷寺。弁天小僧は、その長谷寺に参詣に来ていた寿姫を騙して人気のない神輿ヶ嶽のお堂に連れていきます。運命を悲観した千寿姫はそこから身を投げて稲瀬川の谷底へとストーリーが展開していきます。

赤星十三郎の台詞では「神輿」と「見越す」を掛け、人々の視線が盗賊を暴き立てる構図を描く。信仰と芝居の虚構が交錯する言葉遊びです。

星月夜の井 ― 「消ゆる間近き 星月夜」

星の井
星の井

*星の井*

案内板
案内板

*案内板*

この井戸は、鎌倉十井の一つで、星月夜の井、星月の井とも呼ばれています。昔、この井戸の中に昼間も星の影が見えたことから、この名がついたといわれています。

奈良時代の名僧・行基は、井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建てて虚空蔵菩薩をまつったという伝説もあります。

井戸の水は清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人の飲料水として売られていたそうです。

平成11年12月 社団法人鎌倉青年会議所

長谷寺と極楽寺の間の極楽寺坂切通にある「星月夜の井」。昼でも星や月が映るとされた霊泉で、鎌倉十井のひとつに数えられます。

赤星は「消ゆる間近き星月夜」と、自らの命の尽きる時を暗示します。

「赤星」という名を、消えゆく星の光に重ね合わせた象徴的な一節です。

星月井碑文
星月井碑文

*星月井碑文*

星月夜の井は一に星の井とも云う 鎌倉十井の一なり 坂の下に属す 往時此の附近の地老樹蓊鬱として昼尚暗し 故に称して星月谷と曰ふ 後転じて星月夜となる 井名蓋し此に基く  里老言う 古昔此井中昼も星の影見ゆ 故に此の名あり 近傍の卑女誤つて菜刀を落せしより以来 星影復た見えざるに至ると 此説最も里人の為に信ぜらるるが如し 慶長五年(1600)六月 徳川家康京師よりの帰途  鎌倉に過り特に此井を見たることあり 以て其名世に著はるるを知るべし 水質清冽 最も口に可なり

結び ― 義経の影と消えゆく赤い星

赤星十三郎の名乗りは、鎌倉から平塚にかけての地名を連ねながら、歴史や文学の記憶を呼び込んでいます。

  • 腰越では、義経の無念。
  • 花水橋では、「今牛若」と呼ばれた義経の若き勇姿。

赤星は義経の光と影を自らの姿に重ね合わせながら、最後には月と星の歌枕に包まれて命を閉じる。

夜空に一瞬だけ輝く赤い星のように、孤独で詩的な盗賊の像が立ち上がってくるのです。

【参考文献】

  • 鎌倉十井伝承(星月夜の井)
  • 冷泉為相の歌(砥上ヶ原を詠んだ和歌)
  • 阿仏尼『十六夜日記』
  • 満福寺公式サイト「腰越状と義経」 https://www.manpuku-ji.net/
  • 甘縄神明神社公式サイト https://miurahantou.jp/amanawa-shinmei-jinja/
鎌倉歌舞伎義経星月夜赤星腰越白浪五人男
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