12月の歌舞伎座で上演される『与話情浮名横櫛(よわなさけ うきなのよこぐし)』、通称「切られ与三」。 今回は、市川染五郎さんが初役で与三郎を、坂東玉三郎さんがお富を勤めることで、歌舞伎ファンの間でも熱い視線が注がれています。
この物語の主人公・与三郎は、全身に34箇所もの刀傷を受け、「切られ与三」と呼ばれるゴロツキに身を落とします。しかし、歌舞伎において彼は単なる「乱暴者」としては描かれません。
そこにあるのは、「若旦那崩(くず)れ」の色気です。 今回は、名台詞の奥にある「育ちの良さ」と、脇を固めるキャラクターたちが醸し出す「大人の分別」について、私たち地歌舞伎の視点も交えて深掘りします。
落ちぶれても「若旦那」——与三郎という役の難しさ
与三郎を演じる上で最も重要とされるのが、「若旦那崩(くず)れ」という性根(しょうね)です。
彼は根っからの悪党ではありません。元は大店(おおだな)の跡取り息子。 全身に傷を負い、ゆすりたかりのゴロツキに身を落としても(零落しても)、ふとした仕草や言葉の端々に、隠しきれない「育ちの良さ」や「品」が残っていなければなりません。
ただ凄むだけならチンピラですが、与三郎の啖呵(たんか)には「哀愁」と「美しさ」が必要です。 ボロボロの着物を着ていても匂い立つようなこの色気こそ、歌舞伎の世話物(せわもの)の醍醐味です。
名台詞を解剖する:「怒り」ではなく「痴話喧嘩」?
有名な「源氏店(げんじだな)」の場。死んだと思っていたお富と再会した与三郎が放つ、長台詞を聞いてみましょう。
「しがねえ恋の情けが仇(あだ) 命の綱の切れたのを どう取り留めてか木更津から……」
冒頭の「しがねえ(つまらない)」という言葉。 自分をこんな姿にした恋を「つまらない」と吐き捨てつつ、それでもお富を忘れられなかった未練。
この場面、表面的には「お前だけいい暮らしをしやがって!」というゆすりの場ですが、その本質は「壮大な痴話喧嘩」でもあります。 「俺はこんなに辛かったのに、なんでお前は俺を探してくれなかったんだ」という、拗ね(すね)の感情。
この「甘え」を含んだ怒りを、流れるような七五調の音楽的リズムに乗せて語る。 だからこそ、観客はドロドロした修羅場を見ているはずなのに、うっとりと聞き惚れてしまうのです。
受け止める「お富」、引き立てる「蝙蝠安」、スパイスの「藤八」
与三郎の美学を完成させるには、周りの存在が不可欠です。
まずは相手役の「お富」。 与三郎の激しい言葉を、驚きつつもしっかりと受け止め、自分の貞節を訴える強さを持った女性です。七五調の美しい調べの台詞に大人の女性の気持ちの葛藤が滲みます。
「その時、私もながらえる 心無けれども港から 海の深みへ捨つる身も 漂う波の夢うつつ」
そして「蝙蝠安(こうもりやす)」。 彼は与三郎と違い、根っからのゴロツキ(三枚目)。彼が下品でコミカルであればあるほど、隣にいる与三郎の「高貴な崩れ方」が際立ちます。
「だがね、御新造なんかは良いご身分さ。年が年中お蚕ぐるみで 重いものと言ったら 箸と茶碗のほか持ったことは無し」
また、この場には番頭の藤八(とうはち)という滑稽なキャラクターも登場します。 緊迫した場面で、あわあわと慌てふためく彼は、料理で言えば「山椒」のような存在。 彼の存在がピリッとしたスパイスになることで、与三郎のクールさやお芝居全体の味がより引き立つのです。
場を締める大人の風格:和泉屋多左衛門
ここでもう一人、忘れてはならない重要人物がいます。 お富のパトロン(旦那)である、和泉屋多左衛門(いずみや たざえもん)です。
修羅場となりかけた場に現れ、騒ぎを丸く収める彼の存在。 ただ金で解決するのではなく、彼の台詞には、世の中の酸いも甘いも噛み分けた「大人の包容力」があります。
「昨日今日と思いしが、数えてみれば三年越し。月日の経つのは早いものさねえ」
実は、この多左衛門とお富には、ある「深い縁」が隠されています。 その裏設定を知った上で、彼の温かみのある台詞を聞くと、また違った感動が生まれます。
まとめ:4人のアンサンブルを楽しむ
与三郎の「若さと激情」、多左衛門の「老成と分別」。 そして、お富の「色気」と、蝙蝠安や藤八の「滑稽さ」。
このキャラクターたちの絶妙なバランス(アンサンブル)こそが、『源氏店』が長年愛され続ける理由です。
過去に気良歌舞伎で演じた切られ与三の名場面ハイライトで、ぜひ予習をしてみてくださいね。
12月の歌舞伎座。 若き与三郎が、名優・玉三郎さんのお富を相手に、どのような「しがねえ恋」を紡ぐのか。楽しみですね!
気良歌舞伎(けらかぶき) 岐阜県郡上市明宝気良地区に伝わる地歌舞伎です。 YouTubeチャンネルでは、歌舞伎の解説や公演映像を配信しています。