河竹黙阿弥の『青砥稿花紅彩画』に登場する盗賊、白浪五人男。そのひとり、南郷力丸。
名前のモデルは、南宮行力丸とも、南湖力丸とも言われます。
「東海浜島英賊記」という実録本には、日本駄右衛門のモデルとなった日本左衛門の名とともに、南宮行力丸という名前が出ており、実在した盗賊だったようです。
ちなみに、南湖は湘南・茅ヶ崎のことを指します。南宮が南湖となり、南郷に転化した可能性があります。
一方、彼の名乗りには「小ゆるぎの浜」「虎ヶ石」「鴫立沢」といった茅ヶ崎の隣、大磯宿の名所が並んでいます。
黙阿弥は、実在の盗賊の名を借りつつも、芝居の台詞には古来から歌に詠まれた大磯に関連する言葉を並べたのでしょう。
実際にその地を歩いてみると、黙阿弥の台詞に込められた景色と物語が鮮やかに浮かび上がってきました。
小ゆるぎの浜と磯馴れ松-「潮風荒きこゆるぎの 磯馴れの松の曲がりなり」

*こゆるぎの浜*
「潮風荒き小ゆるぎの」――力丸は荒々しい浜育ちをこう名乗ります。
大磯には万葉集や古今和歌集に詠まれた「こゆるぎの浜」と呼ばれる海岸線が広がっています。
そして、大磯の海岸線を通る東海道には松並木が整備されていました。
磯馴れの松は海風で幹が根元から傾き、力丸が自らを「性根の曲がりなり」とたとえる元となった風景です。

*松並木の案内看板*

*東海道五拾三次之内 大磯 虎ヶ雨*
📍 大磯町・こゆるぎの浜/東海道松並木
延台寺の虎御石-「その身に重き虎ヶ石」

*延台寺の案内板*
「その身に重き虎ヶ石」――台詞に登場する「虎ヶ石」は、大磯の延台寺に残る巨石。
曽我十郎の恋人・虎御前が身代わりとなって矢を受けたという伝説があり、「持ち上げられるのは美男だけ」と語られてきました。
罪の重さと石の重さを重ね、さらに自虐的に「美男でない自分は背負って立てない」と響かせるのは、黙阿弥らしいアイロニーなのかもしれません。
さて、この虎御石(虎子石とも)、江戸時代は随分と有名だったらしく、数々の浮世絵に登場しています。

*葛飾北斎「東海道五十三次 大磯」*
ちなみに、太田記念美術館の公式twitterアカウントはコチラの虎子石が使われております。かわいらしい。

*歌川芳員「東海道五十三次内 大磯」*
📍 大磯町・延台寺(虎御石)
鴫立庵と鴫立沢-「覚悟は予て鴫立沢」

*東海名所改正道中記 大磯 鴫立沢*
「覚悟は予て鴫立沢」――西行の和歌「こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」を踏まえた一節。
大磯の鴫立庵は日本三大俳諧道場のひとつで、今も「鴫立沢」の風情を伝えています。
西行が「あはれは知られけり」と詠んだのに対し、力丸は「あはれは身に知らぬ」と虚勢を張る。
和歌的情趣をあえて退けることで、「念仏嫌えの南郷力丸」としての孤高を強調しています。

*案内看板*
通行量の多い国道1号線沿いにあるのですが、一歩足を踏み入れると静かな別世界へと誘われます。西行法師の像のほか、大磯の虎御前の像、そして数多くの句碑が立てられています。

*庵をぐるりと一周できる*
📍 大磯町・鴫立庵
結び ― 虚勢と風景の交錯
南郷力丸の名乗りは、文学的歌枕と荒々しい海辺の風景を重ね合わせたもの。
- 小ゆるぎの浜=浜育ちの荒々しさ
- 磯馴れ松=曲がった性根
- 虎御石=罪の重さと恋の伝説
- 鴫立沢=和歌的「あはれ」の否定
実際に大磯の地を歩いてみると、力丸の虚勢の裏に漂う孤独や、自虐的なユーモアまでもが風景と共鳴して聞こえてきます。
舞台を飛び出し、土地を歩くことでこそ、黙阿弥の言葉の豊かさが見えてくるのです。
【参考文献】
- 鴫立庵公式サイト「鴫立沢と西行法師」https://nem-shiteikanri.jp/shisetsu/shigitatsuan/history/index.html
- 延台寺公式サイト「虎御石」http://endaiji.com/toragoishi.html
- 大磯町観光協会『大磯観光ガイド』
- 現地案内板(大磯町・こゆるぎの浜、東海道松並木)