河竹黙阿弥の代表作のひとつ「青砥稿花紅彩画」。
有名な浜松屋の場と、稲瀬川勢揃いの場だけが上演されることが多く、その場合は「弁天娘女男白浪」と表記されます。
また、五人の盗賊(白浪)が登場することから、通称「白浪五人男」とも呼ばれる有名演目です。
河竹黙阿弥が紡ぎ出した七五調の名台詞は、そのリズムのみならず、随所に地名などを掛詞(一つの言葉に二つの意味を含ませる)にして各登場人物の個性を表現するという文学的にも非常に優れた作品です。
素人役者が勝手に現代語訳したものですので、間違っている部分もあろうと思いますが、ご容赦いただき、ひとつの解釈として楽しんでいただければ幸いです。
なお、気良歌舞伎の公演での字幕解説はYouTube気良歌舞伎チャンネルで公開していますので、併せてご覧いただければと思います。チャンネル登録、高評価もよろしくお願いします!
今回は日本駄右衛門の台詞です。
日本駄右衛門のモデルは日本左衛門という実在の盗賊団のリーダーだと言われています。
一文ずつ解説していきます。
問われて名乗るも おこがましいが
「尋ねられて名乗るのもおこがましいことだが」
生まれは遠州浜松在
「生まれは遠州の浜松だ」
※遠州:今の静岡県。
十四の年から親に放れ
「十四歳のときに親元を離れて」
※親に放れ:単に親元を離れたというより、おそらく放り出された(勘当された)というニュアンスだろう。
身の生業も白浪の
「盗賊稼業で身を立てて」
※白浪:盗賊のこと。語源は中国の後漢末期、白波谷にこもった盗賊集団「白波賊」が由来となり、日本では白浪が盗賊の表す言葉となった。
沖を越えたる夜働き
「海を渡って夜ごとに盗みを働いてきた」
※沖を越えたる:白浪を海の白波にかけて、沖というイメージに繋げている。海を渡って広範囲に盗みを働いてきたという意味。
盗みはすれど非道はせず
「盗みはするが、非道なことはしない」
人に情けを掛川から
「弱い物を助け、東海道の掛川から」
※掛川:情けを“かけ”る、と、東海道の“掛”川宿が掛詞となっている。
金谷をかけて宿々で
「金谷までの宿場町では」
※かけて:“掛けて”、と、“駆けて”の掛詞だろう。掛川から金山まで義賊だという噂が駆け抜けたという意味。
※頭韻の効果:かけがわから、かなやをかけて、と、「か」で韻を踏むことで、セリフの調子(リズム)が作られ、スピード感、躍動感も生まれている。駆ける、という言葉とマッチしている。

*東海道五十三次の宿場マップ*
義賊と噂 高札に
「弱いものを助ける義賊だという噂となった」
※義賊:弱い者から盗むのではなく、権力者や不当に儲けている金持ちから盗んで、民衆の支持を得ている盗賊団。
※高札:人通りの多い場所に掲げられた木に貼られた札。法度・掟書(法律・ルール)のほか、犯罪者の罪状が書かれ、通報を促すものだった。
なお、この「高札に」は、直接的には次の「回る配布」にかかっているが、この一文での「高札に」は、義賊という噂が高札に貼られているかのように、各地に広まったという意味にもとれる。
回る配布の盥越し
「手配書が貼られた高札が、あちこちに立てられて、たらいで川を渡るような日々だ」
※回る配布:犯罪者として自分の手配書が各地に貼られたことを表す。
※回る(廻る):大井川のような橋のかけられていない大きな川では、決められた渡し場(幕府から許可を得た場所)で川札(川を渡すための人足は雇う料金)を購入しなければならなかったが、そこを避けて隠れて渡河することを「廻り越え」と言った。見つかったら処罰される行為である。この一文は手配書が回る、と、廻り越しを掛けていると読み取れる。
※盥越し:盥で川を渡ること。川札を買って人足に担がれて川を渡るのとは違い、不安定な盥で川を渡っているような、いつ捕えられてもおかしくない現状を表現している。
※盥回し:「盥」と「回る」が同じ一文に登場すると「盥回し」という言葉が浮かんくる。語源は曲芸師が仰向けになって足で盥を回す技から生まれた言葉であるが、追っ手をひらりひらりとかわして行くようなニュアンスが感じられる。
危ねえその身の境涯も
「そんな危険な境遇に置かれているが」
※危ねえ:前述の非合法で、しかも盥で川を渡るような、いつ捕まっても、死んでもおかしくないような危険に晒されているという意味。
最早四十に人間の 定めは僅か五十年
「気がつけば、もう四十歳になった。人間の一生は五十年と言われるが」
※四十に:冒頭の「十四の年から」との対比で際立たせる。
※人間五十年:幸若舞の演目「敦盛」の一節。織田信長が好んで舞った舞だと言われる。人の一生は仏の世界から見ればほんの一瞬の儚いもの、夢幻のようなものだ、という意味。ここでは、日本駄右衛門は、自分の人生も、いつ終わってもおかしくない、しかし、そんなことは、取るに足らないものだという意味を感じる。
六十余州に隠れのねえ
「日本全国のどこであっても、もう隠れはしない」
※六十余州:日本全国という意味。古代日本の旧国名は六十八あったということで、六十余州は日本全国を表す。
※四十、五十、六十:後半に、四十、五十、六十、と立て続けに順番に大きくなる数字が組み込まれている。これに合わせて、セリフの調子がどんどんと高められ、最後の名乗りの言葉のピークへと繋がっていく。この言葉の配置が絶妙である。
賊徒の張本、日本駄右衛門
「盗賊たちの元締めである、俺の名は、日本駄右衛門だ」
※賊徒:盗賊たち。
※張本:張本人。悪事の元となる者。
以上、日本駄右衛門の台詞を解説してみました。
掛詞が使われていたり、調子を合わせるための言葉の配置があって、現代語訳するのは、かなり難しいですが、黙阿弥が意図していたことが少しでも伝われば幸いです。
個人的には、実際に声に出してみると「もはや四十に人間の、定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねえ」の、どんどんと、調子(リズムとテンポ)が高まっていく箇所が好きです。
皆さんが深くこの演目を感じてもらうための一助になれば幸いです。